無限鍋

最近は、無限に鍋してる。野菜・肉(鳥・豚・牛)・豆腐を継ぎ足し継ぎ足しで、月から金まで対応してる。スープはいろんな種類の鍋つゆを使ってる。最近ハマってるのは札幌味噌ラーメンで有名な「すみれ」スープ。いつも近所のまいばすけっとで買ってるから、トップバリュなのかな。

野菜は、「洗わずさっと使える 寄せ鍋用600g」にお世話になっている。これまたトップバリュ。あとは適当に肉を入れたり豆腐を入れたり、とにかくあらゆるものをブっ込んでぐつぐつさせている。食材が余るということもないし、ヘルシーでコスパもよく、冬になったら一生これでいけると確信した。

ところで、何年も前に長男が、「鍋を食べるって、おかしくない?」って言ってたことを思い出す。「鍋は鉄なんだから食べられないでしょw」ってケラケラ笑っていた。つまりそれは調理器具の名前じゃんと。子供ってのはすごいなと思ったことを覚えている。以来、できるだけ「水炊き」とか「寄せ鍋」とかって料理名で会話すべきだと思ったし、「鍋する」みたいな動詞的な用法も多少の違和感を覚えるようになった。

もし、鍋という単語が、単に調理器具というよりは日本の食文化を象徴する料理名として君臨するのであれば、調理器具としての鍋には別名をつけるべきだと思う。今の状態を良しとするのであれば、「鍋で鍋する」とか「鍋の鍋を食べる」という表現が文法的に問題ないことになり、たしかになるほど相当に美しくない。

プログラミングだったら、そんな言語設計はありえないというか、相当叩かれる。なんだこれはと。だけど、最近は人間が機械に合わせるのではなく、機械が人間に合わせられるようになってきた。LLMは特に例外への対応力が人間を超越してる。設計の矛盾を、解釈やニュアンスでクッションできるようになったから、今後の世界はより設計の美しさを失っていく。AIもLLMも結構だが、人間が馬鹿でいられるようになっていくのは少々寂しい。本件に限らず、日本語は形態素解析が難しいし、平仮名・カタカナ・漢字が共存し、同音異義もめちゃくちゃありすぎる。ただでさえカオスだってのに、機械がそれを理解し始めたら誰がそれを直しにかかるのかと心配になる。複雑さを複雑なまま受容することもまた別の美しさなのかもしれない。

鍋から言語設計の話になった。着地を考えずにだらだら書くのも面白い。

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