Amazon Primeで視聴した。
映像も役者もすごく良かったのだが、何となく周囲の評判に対する気持ち悪さを感じた。そのモヤモヤを言語化したい。
1.みんなそもそもチョイ斜め上から見てる
捉え方・見方は十人十色、自由に解釈すればよいのはそのとおりだと理解しつつも、事前にいくらかレビューを見てから視聴した自分は、多くの視聴者が平山に対して「恵まれないのに頑張ってる」見方をしていることに早々に気づいてしまった。
主人公の平山は、65歳ほどの独身男性、およそ上等とは言えないアパートに一人暮らし、公衆便所の掃除を生業にしている。利用者からは空気みたいに扱われ、パートナーは毎日遅刻するような若者で、親族からも見下されている。そんな平山を、我々視聴者は基本的に斜め上から見ている。「幸せそうで羨ましい」「平山のようになりたい」だなんて微塵も思っておらず、心の底では「こうならないように頑張ろう」か、あるいは掃除のおじさんにやさしくしようくらいのものだろう。
頭では、平山が見出している小さな幸せみたいなものにフォーカスしなければならないと思いつつ、自分のことに置き換えて考えることはすごく難しい構図だと思ってしまった。
2.ラストシーンの涙が、PERFECT DAYSを否定している。
あの涙が、タイトルに対するとんでもないアンチテーゼになってしまっているのでは。
自分を含めて、意外とプロの平山は身の回りにたくさんいて、プロの平山はあの程度のことで涙しない。自分がそうだからわかる。他人や結果に期待しないプロの平山は、とっくのとうに「そういう俗的な幸福は捨てることにしている」はずで、あんなことに心を動かされたりしないはずなんだ。だからといって、ルサンチマンになっているわけでもない。プロの平山は、世間が思うより自分のことが好きで、自分を認めており、誰かの否定は正直耳に入ってこない。
感情が動かされないわけではなく、時に涙することがあるのはそりゃそうなんだが、ラストシーンがあの形で終わっちゃうと、やっぱり「かわいそう」「あぁはなりたくない」になってしまう。掲げたタイトルを真向から否定したことになる。
この映画で感動する人は、平山が生きる世界を少し斜め上から見て「かわいそう」という感想を持った人たち。一方で1人で現実を生きるプロの平山たちにとっては「ちょい違うんだよな」と思わせるものだった。