日本史に夢中になれない

戦国時代が面白いとか、幕末から明治維新が面白いとか、正直わからない。

日本史は定期テストのためにしょうがなく勉強した。それだけ。
もちろん歴史物の映画や本をエンタメとして楽しむことはあるが、それ以上に深堀しようとは思わない。

それができる人との違いは何なんだろう。

まず、役に立たない知識と思ってるふしがある。
先人の知恵、偉人の思想、事物の発展の仕方、現代との関係性。
「こう考えれば役に立つ」という視点は、わかる。だけど、そのほとんどは俺の人生には再現性のないことばかり。そんなに、ドラマチックで激動の人生じゃない。

次に、覚えることが多すぎる。現代のことすらわからないことだらけなのに同じスケールで過去2000年の歴史を学んでどうする。1つ1つは固有の事象でレバレッジが効かないし、散々覚えたあげく、真相は不確かなまま次に時代に進むという気持ち悪さを伴う。
また、実際には現代と同じ解像度で見るわけじゃなく、教科書には主要な出来事や事物についてのみ書かれているとして、だとしたらやっぱり何のためにやるのかわからないのである。
教科書を作った誰かが、「これは重要」と恣意的に決めた内容を覚えることに何の意味があるのか。それを言ったら義務教育そのものへの否定になりそうだが、言語能力(国語)や論理的思考(理数)は生活に密接していることが実感できるから、子どもながらに意味付けしやすかった。

一応弁明しておきたいのは、点数を取れる科目ではあったということ。これだけは言っておきたい。ただ苦手でディスるべくディスってるのではなく。
(それはたとえば、理数を苦手とする子が「方程式が将来何の役に立つの?」と嘆くような!)

結局のところ、自分を中心とした狭い円と、日本史の円は接点がないという、少し冷めた見方をしているんだと思う。

規模の面も、時空の面も、その両方において。

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