本当は変えたいと思っていないこと

巻き肩・猫背。矯正したいと思ってもう10年以上経っている。幼少期から猫背・姿勢が悪いと言われることが多く、また写真や映像で自分を客観的に見るとたしかに猫背であると自覚するが、日常生活には支障がなかった。大人になった今も全くそれは同じで、良くないことに自覚的でありながら良くするための行動ができない。そうしてるうちにもう十年以上たった。

きっと僕は、本当は変わるつもりがない。

痩せたいというわりに体型の変わらない人をみて、じゃあ食べるなよと思っていたが、自分も大概だった。

そこで、自分の本気度を試すために巻き肩矯正ベルトを買った。これでいけるハズだと。これが大きな一歩であると。だけど、初回の着用で「これは長続きせんな」と思った。着け心地が悪すぎる。不快極まりない。これで一日過ごすのはもはや罰ゲーム。僕が何をしたっていうのさ。

本来疑うべきは自分の意志であるはずなのに、こうして器具や環境に要因を求めているあたりがもう変わる気のないことを示している。

こんなときに必要なのは、雷が落ちたかのようなショックか小さな成功体験だ。前者は、人に怒られるとか迷惑をかけてしまったとか、あるいは信用を失うといった類。姿勢が悪いことではそのような事態は起きにくいためやはり難しい。後者は小さな成長に気づくことや可視化すること。たとえば強制ベルトを3時間つけていたら少し肩回りの筋肉がほぐれて楽になったとか、ぐっすり眠れたとかそういう類。

本当に変えたいとは思っていない自分と、そこに自覚的でありながらもかくあるべきを目指す自分との葛藤。

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