説明(書)を読まない人が増えた

世の中に、説明書というものが減った気がする。結果、説明(書)を読まない人が増えた。

スマホネイティブな世代は驚くかもしれないが、ガラケーには文庫本サイズの分厚い説明書が付属していた。今となっては笑われるかもしれないが、僕はあの類をしっかり読むのが好きだった。ゲームソフトにも紙の説明書が付属していた。今はQRコードに置き換わっていることが多い。

当時は、ユーザに求められることが「操作方法はわからないが何となくやってみる」ことではなく、「しっかり説明書を読んでマニュアルどおりに利用すること」だった。新しい機械に対しては特に、マニュアルにない操作をして壊してしまうのではないかという、腫物を触るかのような雰囲気すらあった。たとえばCDの裏面に一度でも指紋が付いたら二度と再生できなくなるといったように。これはきっと、シゴトという大人の世界ではとても非生産的なことだったんじゃないかと想像する。

新しい機械にはたくさんのボタンやレバーがあって、その都度新しいやり方を覚える必要がある。サイズや材質に関しては標準規格・工業規格という考え方はあれど、実装方法は様々だ。そこに、デザインが生まれた。たとえばキーボードのQWERTY配列。どのメーカーもデファクトスタンダードやユニバーサールデザインを適用するようになった。そうでないものは一気に絶滅した。

と同時に、タッチパネルによるソフトウェア化が急激に進んだ。あらかじめボタンやレバーをモノとして実装するのは高コストだしあとから変更が効かない。使いづらかったときに全台作り直しになる。一方ソフトウェア内で完結させれば物理的なボタンやレバーはいらない。ユーザの使いやすさに合わせて画面内のボタンの位置やサイズは自由自在に変更できるようになった。

デザインの共通化とソフトウェア化の2つのパラダイムシフトによって、紙の説明書は意味をなさなくなった。こうして使いやすさに対する試行錯誤を続けた結果、「操作方法はわからないが何となくやってみる」が成功する世界になった。読まなくても使えるという成功体験が、次の読まないをどんどん生み出した。

一方で、シゴトにおけるコミュニケーションは、(刹那的な対話を除けば)テキスト(文章)がすべてと言って過言ではなさそう。だから、日々テキストが生まれ、テキストは次のテキストないし、サービスや財に変換されていく。逆に言えば、新たな財やサービスはテキストからしか生み出せない。

だけど僕らは「読めば書いてある」という体験を知らない。加えて読む力もなければ時間もない。

これって結果的に生産性が落ちてたりして。

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