40歳を目前にして、終わりを意識している。決して毎日「今日が最後」と思って過ごしているわけではないが、高いエネルギーで遊んだり、学んだり、働いたりするのは、もって向こう3年くらいだなと。なんというか、体か気持ちかわからないのだが自分のなかのリトル自分がそう語りかけてくる。
これはきっと諦めなんだけど、結果的に「何でもわかったフリしながら生きる大人」の第一歩なんだと思ってはっとした。学ぶエネルギーも遊ぶエネルギーもなくなると、挑戦できない。挑戦できないと昔話・同じ話しかできない。他人や社会の前進についていけずわかったフリになる。
終わりを意識し始めていることに恐怖してる。これを受け入れたらダメなんじゃないかと。時すでに遅しにならないために対策が必要なんじゃないかと。
そう考えると、やはりお金なのかもしれない。
若いときは、お金のなさを高いエネルギーでカバーすることで遊びや学びがあった。きっと40代以降は、エネルギーのなさをお金でカバーすることで遊びや学びをするのかも。
ファーストクラスでゆったり旅行したり、欲しかったモノを大人買いしたり、高級スイートに泊まったり。そんなお金の使い方を否定的に考えていたところはあるが、これを肯定していくことが唯一エネルギーの低下に抗う手段なのかもしれない。