ないものを作ること、ゼロからイチを生むこと。それ自体はどちらかと言えば苦しさよりもプロセス自体は楽しいことばかり。だけど、一度生まれたものは叩かれる。これが苦しみ。
ゼロをイチにする人は1人だが、生まれたものはN人のフィルタにかかって叩かれる。ここでの叩かれるってのは、悪意ではなく磨かれるという意味。
何も社会に変革を起こすイノベーションや発明ばかりの話ではなく、組織で利用する資料1つとっても、ナイところから作れる人はとても貴重で、その他大勢は叩けるものがあるからこそメシが食えるといっても過言ではない。
だから「生みの苦しみ」なんて表現はやめて、「叩けることの幸せ」に変換したらいい。誰かが作ってくれて、出来は悪くたって磨くものがあって初めて仕事になる。アートや思想に正解はないが、ビジネスにはお金という正解があって、正解のためにみんなで磨くのは正義。
叩く作業・磨く作業は、否定されないから気持ちいい。その裏で生みの苦しみという言葉が誕生しないためには、叩けることの幸せを皆々自覚すべきだと思う。これまで経験した仕事においては、誰かが生んだイチを評論するプロはごまんと見てきたが、イチへの敬意が感じられないことが多かったように感じる。
N勢が叩ける幸せを自覚した瞬間、生む人も叩く人も幸せになると思うんだけどな。