トップダウンという発明

人類をここまで発展させた最も大きな発明が貨幣経済なら、2番目はトップダウンという仕組みではないだろうか。統治するためにはピラミッド型組織のトップダウンしかありえないんじゃないかと思うわけです。

するとみんなこう言います。「最近はティール組織が・・・」「フラットな関係の組織づくりを・・・」「ボトムアップで意見を反映して・・・」

じゃあ結局意思決定は誰がするんですか?「みんな」ですか?みんなって誰ですか?多数決ですか?多数決ほど下らない意思決定方法はない。うまくいったときは万歳で良いけれど、失敗したら誰が責任を取るの?それで組織が転覆の危機に陥ったり人命を失ったらどうするの?これに答えを出せないでしょう。

トップダウンは答えが出せるんですよ。トップがやめればいいんです。トップダウンの優れているところは、その意思決定が正しいか正しくないか、納得感があるかないかというよりも、失敗したときに大抵の場合「トップ職が辞する」ことをもって整理できるところ。致命的な失敗からのレジリエンスが多数決と比べて格段に高い。

無論、たとえば被害者がいるとか損害が発生しているといった状況では、トップが辞職したから言ってその瞬間すべての問題が整理されるわけではないし事後のケアはもちろん必要。

だが感情面を抜きにして、「彼の意思決定が悪かった」「だから彼が辞めればよい」というのは論理的に正しい。つまりトップダウンという仕組みは、大多数にとって誰かのせいにできるということでもあるってワケ。権限(意思決定)と責任が表裏一体ということは、めちゃくちゃ単純だけど優れた仕組み。

ところで、僕は小学生のころに多数決と出会った。たしか学芸会において朗読をするか、合唱をするか、演劇をするかみたいなのを決める案件だったと思う。選択肢はもっと具体的(演劇なら白雪姫とかそういう感じ)だったと思うが、これを多数決で決めたことがあった。子供ながらにその仕組みにとても納得感があったことを覚えている。もちろん当時ここまでメタ的に自覚していたわけではなく、今考えてみればという話。だけれども、小学校のクラス運営なんて先生による超トップダウンなわけですから、どう転んでも大丈夫なようになってたわけです。

現場の意見が反映されないとかボトムアップにしないと組織がダメになるとかよく聞くが、その現状が多くの人を守っていることでもあると。

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