本件、この国では「婚姻制度」すなわち「結婚」に代表されるわけだが、「結婚」は今や少々オールドファッションな表現なので、「パートナーと幸せに人生を歩む」に表現を変えさせてもらった。
そのための条件について考察していきたい。
まず僕としては、この条件は一択だと思っている。それはお互いが「一人になってもマックスに幸せである」と感じられるほどに自立できていることだと思う。
若いころは勘違いをしていた。「君がいない人生は考えられない」「あなたがいなきゃ死んだも同然」みたいな強固な価値観こそがパートナーと幸せな人生を歩む条件だと理解していた。
しかし、これは依存である。依存がどれだけ自己を破滅させるかについては議論の余地はなく、アルコールやドラッグ関連の依存はもちろんのこと、異性やパートナーに対する依存や執着が世間を騒がす大事件に発展している事例もメディアを通して幾度となく見聞きしてきた。
つまり、繰り返しになるが、「君がいない人生は考えられない」「あなたがいなきゃ死んだも同然」なんて感情を、「愛」という都合のよい表現に変えて確かめ合ってるようでは、ドラッグ依存と大差ないことになる。
アルコールやクスリに対して「これが無ければ僕は生きていけない」と言う人を皆々「頭おかしい」と評するわけだが、どうしてか特定の人物(パートナー)に対して「君がいなければ僕は終わりだ」という人々を、「嗚呼!純愛すばらしき!」と称賛する風潮がある。
どう考えてもおかしい。破滅の道一直線。
だから、主題である「パートナーと幸せに人生を歩む」ために必要なことは、「自分はいつ一人になっても死ぬまでマックスに幸福に生きる自信があるが、パートナーと過ごす時間はそれと同じだけの価値がある」という境地に至った者同士であれば、人生を共にする力を得たことになるのだろう。すなわち、自分の人生を生きる覚悟・パートナーがパートナーの人生を生きることを尊重する覚悟。これがある者同士だけなんよ。