今朝は、後味の悪い夢から覚めた。細部は覚えていないのだが、要約するとこんな感じ。
なにかたまり場みたいなところで、誰かと一緒にいたのだが、僕が別の誰かを迎えにいかなければならなくなって、車の置いてある駐車場に向かった。
駐車場について車に乗ろうと思ったら、そこから100メートルくらい離れたところにスナイパーみたいなのがいて、それがなぜか僕の目にも見えて、(あ、これはやばい)と感じつつもなぜか運転席に乗り込んだ。エンジンをかけて出発しようと思ったら、車体に衝撃が走った。
車が打たれたのではなくて、僕の車の近くにいた人が打たれていた。僕はそれに気づいたがそのまま全力でアクセルを踏んでその場を後にした。そのときにぐにゃっと人間を踏んだことになっていて、ひき逃げ犯にされるみたいな展開だったのだがこの先をあまり覚えていない。
でも実はこれは、夢から覚めてみて思ったのだが、明晰夢だった気がする。つまり、夢であると自覚していたということ。
いや、「これは夢だ」と思っていたわけではないのだが、スナイパーが僕の車を打ち抜くと思いきや、近くにいた人を殺したときに「あれ、俺じゃないんだ」「えーっと、どういう展開?」みたいに冷静に思ったことは覚えていて、その後に展開においても、いわゆる悪夢における「焦り」みたいなものが無かった気がする。
明晰夢って数年に一度程度、極めて稀に遭遇しているのだが、どうせなら気持ちの良い夢にしてほしい。この時間が一生続けばいいと思えるような夢にしてほしい。
それにしても、夢ってめちゃくちゃ非現実的な展開の連続なのに、どうして疑問の1つすら持てないんだろうか。
いやだけど、現実的・非現実的という尺度自体が僕が今自覚している世界線における解釈にすぎず、夢から覚めた世界線の僕が、現実的だとか非現実的だとか評価するのはきっと根本から間違ってるんだ。だから悪夢から目覚めても現実の価値観で評価しようと思っちゃいけない。
映画なんかは良い例で、猿の惑星だとかアバターだとか、全く現実とかけ離れた世界観を目にしても、「そういうものか」と受け入れることができる。真剣に悩みはしない。それは「これからフィクションを楽しむぞ」というメンタルモデルができているからに違いない。
今後は寝入る前にそう言い聞かせる訓練をしたり、あるいは悪夢から目覚めたときも「なかなか迫力はあったが、僕がディレクターならあのシーンはもっとこうするな」くらいの余裕を持てるようになっていきたい。