仕事・業務の遂行能力は、生まれ持った才能やIQの高さなんかではなく、ほとんどは「知ってるか知らないかゲー」理論。
僕のこれまでの十数年間のちっぽけな社会人生活においては、「うわ、この人すごいな」「自分なんかでは足元にも及ばないな」と思う人もいれば、逆に「あ、この人はもしかしたらこれ以上伸びないかもしれない」と思うような人まで、小さな世界ながらいろいろな人と仕事をしてきたわけだが、そのいずれにおいても、所詮は知っているか知らないかの違いが一番大きいところであって、たかがそのようなことを「能力」と解釈してきたことには少々の恥ずかしさすら覚える。
たとえば業界のことをあまり知らない人と会話していると、明らかに自分の方が知識も経験もあって「見えている景色が全く違う」と感じる瞬間があるわけだが、そういうときに「なんでこんなこともわからないんだ」と相手を劣位の立場に置いてしまいがちだが、あとあと考えると自分がたまたま知っていて相手が知らなかったに過ぎず、その程度のことで能力の優劣をつけることはできないと思う次第である。
これは部活動において、上級生が部室の使い方だとか常識からかけ離れたコミュニケーション方法を知っている状況において、それを知らない1年生を劣位に置くようなもので、僕が一番嫌いなコミュニケーションである。逆に、自分が劣位に置かれているなぁと感じる状況ももちろん同様にある。
しかしここで言いたいことは、知ってるか知らないかだけだから、知る努力をしなくていいと思ったら、それはすなわち負けを認めること。知る努力をしなかったのであれば劣位に置かれても文句は言えず、そこに対して前述のような解釈をすることで自らを慰めたところで、永遠に勝てないということ。
僕はまだまだ強くなりたいので、知ってるか知らないかというくだらないことで人を劣位に置きたくはないが、逆にその程度のことで僕自身が劣位の立場に置かれるのはまっぴら御免だというダブルスタンダートで生きていくしかないなと。