将棋の思い出

昨晩、父と兄が将棋を指していて驚いた。あれ、君たちそんな感じだったっけ。

この家系において将棋といえば僕しかいないはず。

将棋との出会いは小学3年生だった。友達のYくん宅をお邪魔した際、当時はスーファミ全盛期で友達と遊ぶ=スーファミがスタンダードとなっている世界で、Yくんは将棋を持ってきて「勝負しよう」と言った。僕はルールを知らないため、コテンパンに負けた。

悔しくて、将棋を買ってもらった。折りたたみの盤と駒がセットで千円程度のやつで、家族を無理やり誘って鍛えた。父も母も兄も弟もそれほど盛り上がることもなく、強いて言えば祖父はめちゃくちゃ強かったと記憶している。

その後はゲームやパソコンで、コンピュータ相手の将棋にいそしんだ。中学生くらいになるとネット対戦もしていた。「名無しさん」みたいな名前で参加していたことを覚えている。

高校生の頃になっても、携帯ゲームで将棋はマストだった。仲間とやることはなかったが、バス通学中の暇つぶしにCPU相手にさしていたことを覚えている。大学時代、そして就職後は全くもって離れていたわけだが、長男が物心ついたころには相手になっていた。

小学1年生頃には僕と互角に戦える程度になって、詰将棋の本を図書室から借りてきて自分で攻略法を考えて楽しむほどになっていた。学童のお友達にも将棋仲間がいるそうだが、すでに6年生と対戦しても買ってしまって「相手がいない」と自慢そうに嘆いていたことを覚えている。

その後は離れて暮らすことになったため、ほとんどそうした機会をもてずにいることは残念だし、きっと将棋からも離れてしまったに違いない。

なんとなく、数十年にわたって興味の対象の1つではあったものの、本気で取り組んだ期間があったかと言えばナイ。今となってはもったいなかったなと思う。
たとえば、家族や仲間同士で敵なしになった段階で一度大会に出てみるとか、師匠を見つけて教えてもらうとか、コンフォートゾーンを出るきっかけを作れなかったことが悔やまれる。将棋って本当に奥深くて、人生かけて取り組む価値があったかもしれないなと思う。我が子に対しても同じで、そういう場面を提供できなかったことが悔やまれる。

ということで、(人生)詰みました。投了いたします。

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