これは、浴びる情報量の話。
僕らが1日に得る情報量は、平安時代を生きた人の一生分らしい。
あるいは江戸時代を生きた人の一年分らしい。
まぁわかるけど、そのような再現性のない過去と比較したところで、そもそも妥当なのかもわからないし、妥当だったとしても「で?」って感じ。
そんなことより、同じ今を生きる人同士において、この情報の受け取り方にめーちゃくちゃな差があるはずで、それは深刻なんじゃないかと思う。一言で、情報リテラシーとか言ったりするが、僕からすると、オレオレ詐欺にひっかかる高齢者とそういう犯罪に巻き込まれる若い受け子ってのは、情報リテラシーという意味では同レベル。
最近とくに思うのは、いわゆるおじいちゃん・おばあちゃんとかじゃなくても、情報の受け取り方・情報への警戒心が低い30代・40代が多いということ。少し先の未来が想像できなくて、周囲で起きていることにも関心がなく、自分が知っていることがこの世界のすべてだと思い込み、疑うことを知らない。
いまだに、不動産に対する信仰が強く、ブランド物に興じ、学校の成績が一番大事で、最大の娯楽がテレビである。といった感じ。意外や意外で、僕の同年代に結構いる。年齢とか教育とか地域とかで語れない何かがある気がする。
彼らが間違っているとか、僕が正しいとか論じるつもりはない。しかし、浴びる情報が何倍になろうと価値観が変わらない人というのは一定数いることと、情報を浴びて価値観を更新していく人にとっては、理解し合えない平行線といったイメージだ。その結果、犯罪に巻き込まれようが損をしようが知ったこっちゃない。だって誰が悪いとも言えない平行線なんだもの。
「平安時代の一生分なんだってよ」といっても結局それを浴びる個人のキャパシティによるんよ。