未来の楽しいことを想像しているときが、一番楽しい。夏休みより夏休みの3日前くらいが一番楽しい。クリスマスよりクリスマス前夜の布団に入る瞬間が一番幸せ。
これはネガティブなことも同じで、仕事しているときよりも仕事が始まる前の日曜日の夜が一番憂鬱。仕事しているときに仕事がイヤだとはさして感じない。
つまり、まだ起きるともわからない未来のことに対して、ワクワクしたり鬱々としたりして、そこに人生を見出している。虚構を信じることができる我々ホモサピエンスの特権であり、同時にバグである。僕は、人間以外の動物を見て彼らは幸せだなーと思うのは、未来を一切想像していないように見えるから。
ただ目の前に映った獲物を狩り、欲望のまま性交し、ただ生きてただ死ぬだけ。利害も損得もない。もしこれを認めることができるなら、こうも言えると思う。
「明日から始まる仕事のことを考えたって、始まってしまえばどうってことないのだから、考えることが無意味である」と。良いことも嫌なことも動き出したらそんなことを考える暇はない。
虚構を信じる力、想像力という特殊能力を持ってしまった人類だからこそ、この世界を征服することができたわけだが、一方ではこの世界における一番の苦しみを持つことになってしまった。世界はなぜこうもうまくできているのだろうか。一番強いやつが一番不幸になっている。
実は、僕らが築いてきた資本主義社会も同じなのかもしれない。強く見えるやつが一番不幸で、弱く見えるやつらはその不幸のパンチ力も弱いのかもしれない。
クスリにおぼれたり、結果自殺したり、うつになったりするのは、社会的に強い奴らが多いように思う。(それらがニュースになりやすいという面はあると思うが)
つまり、強弱と幸不幸は連動していて、一見弱く見えるものを不幸と捉えたり、強く見えるものを幸せとする見方は、そもそも間違っているのかもしれない。