1.ワープロ期
小学3、4年生の頃、ワープロに初めて触った。1994年頃。当時僕の家庭にはインターネットはまだなかったと思うが、両親が自営業を営んでおり、事務機が結構たくさんあって、文書やPOPを作るのにワープロが重宝していたように記憶している。
そんななか、僕はワープロをいたずらして、モンスターファームの能力値をワープロで記録していた。ハムとかゴーレムとか、スエゾーとか、そういう自分が愛でているキャラクターの能力値をワープロに起こして印刷して学校に持って行っていた。すると周囲は皆々褒めてくれた。
2.PC期
小学校高学年~中学生になると、HDD4GBくらいのNECのPCが家にあった。よく覚えているのは、TSUTAYAで借りてきたCDをCD-Rに書き込んで、コレクションしていた。このころから、タッチタイピングを習得し始めた。MikaTypeってソフトを使って。
3.インターネット期
これも中学生頃だな。ISDN・ADSLが爆誕した。P2Pのファイル交換ソフトやエミュレータが流行して、自分も利用させてもらっていた。WinMXとか今でもよく覚えてる。当時は、こんなことして、翌朝警察が家に押しかけてくるんじゃないかとドキドキしていた。
仲間うちでは、僕がサイバー担当みたいな役割になっていて、P2Pの仕組みとかを知ったかぶりで仲間に話していたことを覚えている。表向きは野球部で体を鍛えてオラオラしながらも、デジタルの世界でもオラオラするというね、まさに今の人格の礎を築いた時代。特にWinMXでは、日本未公開の映画を入手したり、モザイクのない卑猥な動画を入手したりと、やりたい放題だった。家族はそれに気づいていたのかはわからないが、誰がとがめることもなかった。
ちなみに、当時Tくんという友達が同様にITに強く、ちょっと憧れていた。彼は不登校だったのだが、その理由が「勉強が簡単すぎるから」というものだった。事実、中学1年の期末テストで学年1位になって、「学校に行く意味がない」と言って来なくなった。来なくなったあとも自分はTくん宅に仲間と入り浸っていた。ITを語れる唯一の仲間だった。
4.プログラミングとの出会い
高校時代に、javaに出会った。両親が経営する自営業の請求系システムをアソビで作ったのだが、恥ずかしくてしばらく隠していた。Strutsが出たばかりで、ウェブアプリ開発の初期の初期。今考えると、jspファイルにスクリプトレットでjavaコードを書きまくって数千行になったりして、めちゃくちゃ恥ずかしいプログラムだった。ちびちび勉強しては試して、高校3年の夏に野球を引退してからカットオーバーした。当時にしてみれば革命的だったかもしれないが、今考えるとクソシステム。当時採用した帳票ツールみたいなやつがうまく動かなくて、請求書とかをInternetExplorer6.0から直接印刷するというクソ仕様だった。穴があったら入りたい。そのくらい今となっては恥ずかしい仕様。
5.大学
情報系の大学に入学した。C言語には苦戦した記憶がある。最終的にはやっぱりjavaがお気に入りになった。このときは、趣味でプログラミングをやることもあったが、なんというか、入学までに貯金したIT能力でテキトーにフラフラ生活していた感覚に近い。
プログラミングにしても文書作成にしてもタッチタイピングにしても一定は他の人よりもできていて、それ以上の向上心みたいなものはなかったかもしれない。なんか、1つモノを作れるようになると「あ、もうわかったわ」ってなるんだけど、結局世界はもっと全然広くて「俺はまだまだだった」と絶望するんよな。ダニングクルーガー効果ね。
家にあったワープロとか、Tくんとの出会いとか、両親のために作り始めた請求システムとか、適度な目標が常にあった気がする。同じ環境にあって、兄は完全に哲学系の人間だったり、弟はパワー系の人間だったりするもので、面白い。不思議と男3人兄弟だが属性が被らない。そういう意味でも、情報技術との適切な出会いが僕のアイデンティティって感じ。