まちから日本語が消えた

まちから日本語が消えた。たまに聞こえてくる会話に耳を澄ますが、全く聞き取れない。話し手を見ると、どうやら中国人だった。聞き取れないわけだ。こんなことの繰り返し。

すれ違う人々は、中国人、欧米人、ときどき日本人みたいな感じだ。しかも日本人はみんな1人で歩きスマホに夢中で会話が聞こえてくることはない。電車なんかはこれが典型的。

僕はこれが心地よい。聞こえてくる謎の言語が、他愛のない掛け合いなのか、他者への愚痴なのかわからないが、僕がそれを全く理解できないことに安心する。僕や僕以外のだれかを非難するような内容だったとしてもだ。

「まじむかつくわー」とか「だれそれがさー」とか、そういう強めのワードが聞こえてこないだけで、随分と心が安定している。その代わり、SNSがめっちゃ荒れ放題なのは決して良い傾向ではないが、それを見るか見ないかは僕がコントロールできることであって、外に出た瞬間食らう愚痴・文句・ネガティブワードがなくなっていることは、かなり肯定的。

そういうネガティブワードは、言ってみれば公害みたいなものだ。吸ったら気分を悪くする。気分を悪くすれば精神ポイントが削られる。精神ポイントが削られればメンタル疾患になる。メンタル疾患というものが十分に認知された昨今だからこそ、これは言葉の使いようによっちゃそれが凶器になることを認めることだ。

まちから日本語が消えることを、全く寂しいとは思わない。周囲が外国人ばかりになっても全く構わない。いずれ外国人に支配されるみたいな未来を悲観的に語る社会学者もいるが、だから何が問題なのかわからない。国家などという単なる統治の枠組みに対してそこまでアイデンティティを感じていない。僕を形成しているのは日本という国家ではなくこれまでかかわった人間関係や自身に起きた固有の経験だけであって、それ以上でもそれ以下でもない。あとは野となれ山となれ。

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