無趣味、克服したいのに

趣味を聞かれて、答えることができないことが悔しい。本当はあるのに心を開けていないだけなのかもしれない。

たとえば、筋トレ?
でもこれは、すでに2か月近くサボってるし、近く再開するつもりもないので嘘になるだろう。
じゃあ読書?
これも趣味とまでは言えない。身内に読書が趣味のロールモデルがいて、彼の前では「読書が趣味」とは口が裂けても言えない。

あとなんだろ。旅行、ガジェット、お酒、バイク、美容。いろいろ興味の対象はあるものの、うかつにそれが趣味だなんて言ってしまうと、知識の浅さが露呈してしまいそうで、なかなか「無趣味」を克服できない。

たとえば、ブログって言ったらどうなるのだろう。執筆テーマを聞かれたり、月間PV数を聞かれたり、二の矢三の矢に答えにゃならん。それはそれで面倒くさそうだな。

ブログは、死ぬまで続けられる極上の娯楽だと思う。上に挙げたような趣味(候補)らは、いずれもコンテンツの消費って感じがする。もちろんそれはそれで素晴らしいし、没頭できるようになりたいが、そうやって何かを消費「させられている」みたいな感覚が、どうしても自分にとってのブレーキになっている感も否めない。
その点ブログってのは文章を書くというゼロからイチを生む活動であって、無限。とはいえ、ブログだって所詮資本主義社会が生んだコンテンツにすぎず、地球の裏側にはきちんとサーバーがあって、海底ケーブルがあって、大企業が運営しているに過ぎない。そのプラットフォームに乗っているのだから、所詮僕が一番の消費者であることは否定しない。

それでも今はとりあえず、絶命するその日まで書き続けたいと思っている。僕の子や孫、ひ孫や玄孫(以下略)が、いつでも僕と会える場所、ルーツを感じれる場所になるんじゃないかなと思ったり。

そういえば大学一年生の頃、自分のルーツを知りたくて家系図を作ったことがあった。親を通じて本家や親戚から情報を集めたが、所詮は血縁関係・系譜を明らかにしただけで、自分のアイデンティティみたいなものに迫れた感じはしなかった。もうちょいね、この人たちが生きた時代や社会のこと、抱えていた苦悩や幸せに感じていたことを知りたかったな。

だから、今はまだ顔も名も知らぬ、姿カタチすらない未来人のそういうニーズに応えられるようにログっておく。一旦これが僕の趣味ってことでご容赦願いたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA