『むらさきのスカートの女』

今村夏子先生の、何年か前の芥川賞受賞作。

久しぶりに開いたkindleで突然オススメに出てきたから読んでみた。ちょっと期待しすぎたのか、モヤモヤしたまま終わった。

結局、わたし(=黄色のカーディガンの女=権藤チーフ)って何者だったのか。
女(=むらさきのスカートの女=日野さん)も、何者だったのか。全然釈然としない。

最初に浮かんだのは、「わたし」は今や実在しない幽霊で、「むらさき」が生前の「わたし」説を考えてみたのだが、つじつまが合わない。同僚から権藤チーフと認知されているし、酒屋の店長が「腕をつかんだ」って描写からも、それはありえない。

次に「わたし」は多重人格で、そのうちの1つが「むらさき」説。しかしこれも、同僚たちは日野と権藤を区別しているわけだからありえない。

あるいは、実は「むらさき」が存在せず、それは「わたし」にしか見えない幻覚説。これもあり得ないなー。定期券を渡したら自分の分はなくなったのだし、ロッカーから荷物がすべて消えていたわけだし、説明がつかない。

つまり、読者の解釈にゆだねたわけだ。これだけ不可解を積み重ねておいて最後オチに到達してくれない小説は、苦手だ。読んでいて面白いが最後に突き放された感じになる。もう序盤5%くらいからどう伏線回収されるのかワクワクだったのにな。

なんとなく適当に思うところを書いてみると、仮に「わたし」と「むらさき」は同じ世界線に同時に存在する個体だったとして、「むらさき」を異常者っぽく描写していたもののそうじゃなくて、本当のサイコパスは「わたし」だったと。

友達になりたいと言うわりには存在を明かそうとせず、工作によって同僚にさせ、盗品騒ぎに備えて犯人像をつくり、不倫現場を押さえることで優位に立てるといった感じで、超サイコパスな「わたし」が、至って普通の「むらさき」を陥れたっていう。そういう読者への裏切りだったのかな?

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