これは、褒め言葉と捉えるべきだと思う。
昨日のアベプラで取り上げられており、この言葉は紀元前600年代の古代ローマ時代から、年長者が若者を嘆く言葉として「最近の若者は」と言われ続けてるらしい。
僕はこれを聞いて、だったら褒め言葉なんだ!賞賛だったんだ!と理解した。
だってその歴史を3000年も続けてきて、それでも当時と比べれば、あらゆる面で僕らは豊かになっているのだから。常に当時の「最近の若者」たちが世界を前に進めてきたことになる。衣食住は充実し、争いは減り、科学は進み、特に医学の進歩は目覚ましく、そうした充実が倫理観や道徳観を支える基礎にさえなっていると感じる。つまり、「最近の若者は」とお年寄りが嘆くことは、それはすなわち世界を前に進めていることであって、本当は最大の賛辞だったんだ。
「最近の若者は・・・」の下の句は、「わしらが着いていけないほどのスピードで世界を前に進めていて素晴らしい」だったんだ。引き続き、僕たちのような老害のことは考えず、後世の幸福のために尽力してほしい。
僕はこのたび36回目の秋を過ごしているわけだが、最近の若者が自分の頃と比べて良いとか悪いとか評価したことがない。無論、個別具体的に、Aさんは優秀、Bさんは微妙w、みたいな評価はあったとしても、全体を括って評するほどの抽象化能力がないのかもしれない。
しかしもし、仮に僕より年下の世代を総じて評価するのであれば、なぜだか尊敬の念が強い。これをもう少し自己分析してみると、結局のところ損得勘定なのかもしれない。
これから老いていく人に媚びたところで得も学びもないが、今後の世界を構築していく人には媚びておいて損はないという、クソみたいな考えなのかもしれない。
とにかく、「最近の若者は・・・」の下の句は、きちんとみんなリフレーミングしておいたほうがいい。あれはな、本当は褒め言葉だったんだよ。
(過去記事:僕の周りの最近の若者たち↓)