根性論。これは無宗教の産物。この説あると思う。
頑張ればうまくいく、我慢すれば何とかなる、努力すれば実る。こうした根性論が日本人特有だとするならば、それは僕らが縋る神や宗教を見いだせなかった産物なのかなと思う。結局、見えない力を信じるという点において、根性論も宗教も同じだ。
でも、宗教より根性論がやっかいなのは、同調圧力という点においてだ。
周囲が「負けるかもしれないけど頑張ろう」と言ってるなか、「私のポリシーに反するのでおります」と言うことは、組織活動では許されない。特にそうした「おりられない」雰囲気はビジネスシーンでは如実に表れる。
そういう意味では、宗教のほうがまだマシだね。信仰やそれに基づいた思想を他人に強いないという尊重があるわけだから。
生まれながらにして、「根性論」という名の宗教を信仰している僕らは、どこの国の誰よりも見えない力を信仰していることになるし、そこには他者への寛容は全く存在しない。
また一方では、権威のあるメディアや人が「根性論=悪」みたいな発信をした途端に、それでも「根性論」に縋る人たちを突然冷めた目で見始めて、オセロのようにマジョリティが入れ替わるみたいなことが起きる。
信念も理念もない、いち早く多数派に属することで少数派をディスることができれば社会的に生き残ることができるという腐った僕らの性根。これがまさに無宗教の産物。
何か信じるものが1つあって、社会や他人の目を気にせずそれを貫けるとするならば、そっちのほうが幸福なんだろうなと思う。それが仮に、お肉を食べることができないだとか、毎日の礼拝とか、教典の暗唱といった日課だとしても、他人からの圧力がないという点でみればこんな幸せなことはないなと思う。