不良が品行方正になると、最初から品行方正だった人より評価されてる気がする。イヤイヤ待てと。最初から品行方正だった人が評価されるべきだろうと。その理屈もわかる。
最初から品行方正だった人からすれば、それまでに積み上げてきたことが無視されているように感じるかもしれない。
だけど、僕はこの風潮に肯定的である。つまり、不良が品行方正になることは、最初から品行方正で居続けることよりも価値があると。無論まず断っておきたいことは不良だった時代に他人にかけた迷惑やもし犯罪に手を染めているのだとすれば、それらが帳消しになるわけではない。
だがしかし、評価されるべきは変化量であると言いたい。社会はもっと「変化量」を評価・承認できるようになればいい。
幼いころから品行方正なのはそれだけで賞賛されるべき素晴らしいことに違いないが、10年ぶりに会った仲間が、「あ、この人はあの頃から何も変わってない教科書どおりの人だな」と感じたら興ざめするという経験をした。つまり、品行方正だったとしても、そこからの変化が無ければあまり会う価値がないなと感じてしまう。
品行方正だった人が大人になって不良になっていれば目も当てられないが、良い感じに角がとれて人間味に深みが出る人と、相も変わらず教科書どおりの答えをなぞることしかできない人とに分かれる。また、若気の至りで大人たちに迷惑をかけていたタイプの人も、人が変わったように社会貢献している人もいれば、全く変わってない人もいる。
当時の時点がどうあれ、年月とともに変化している人は美しいし、そうでなければ興味を失ってしまうことに気づいた。
果たして僕は、10年前、5年前、3年前と変化しているのだろうか。あるいは3年後、5年後に会う人を驚かせるほどの変化量を備えることができるだろうか。あの頃と何も変わってないねとだけは思われないように、何か1つ方向性を見つけて変化量を積み上げていきたい。