って話を、とある人から聞いた。妙に納得した。
(狭量になる=心が狭くなる)
最近まさにそう思うことがあった。
何度も書いたような気がするが僕はここ最近ほとんどホテル暮らしをしている。毎回同じホテルだ。
すると、お部屋のあるべき姿を完全に把握してしまった。ベッドメイキング、ドライヤーのコードの片づけ方、トイレットペーパーは三角折りされるべき、客の私物の位置は動かさないとか。これが日によって微妙に仕立てが違うことに気づくようになり、部屋に帰るなり「あ、今日は不完全だ」と気づくようにすらなってしまった。知識が増えて狭量になったんだなと。
朝食レストランのセットアップも日によって違うことに気づくようになってしまった。
うまくできている日は、料理のフタがすべて開いている、調味料があるべきところにある(たとえば目玉焼きコーナーの近くにはお醤油がある)、客がトレーを置くレーンに障害物がない。
ところがこれがうまくできていない日は、一番最初に会場に来る僕が最後の仕立てをしている。料理のフタをぱかっと開けて、調味料をあるべき箇所に配置して、レーン上にお皿とかがある場合には端に寄せる等。
不快ってほどではないのだが、不完全さに気づいて「あ、仕事ができてない」と思ってしまう。この程度のバラつきや偶然を、楽しめるようになりたいもんだね。