「理解できない」のも1つの状態

理解できないものは理解できないものとして置いておく、否定も反対も非難もしなくていい。

最近ね、理解できるものに対しては肯定・賛成・賛同を示し、理解できないものに対しては否定・反対・非難する人が多すぎる。何なのこれ。

学校の道徳とかで、必ずどちらかの立場を表明する訓練でもしてるの?

何でもかんでも賛成か反対のお立場を表明しなくても大丈夫。たぶんだけど、「理解できない」という状態は、脳にとってはとてつもなくストレスフルな状態なんだと思う。だから、良いか悪いか決めつければそれ以上そのことについて考える必要がなくなる。

つまり、いつもそうした立場を表明する人は、脳の考えるキャパシティが小さい人ということになる。残念だが世間はこれを頭が悪いと表現する。

傾向としては、年老いてる人に多いのかなと思う。これは偏見ではなくて、脳は老化で萎縮し、萎縮が認知機能の低下させることは証明されているのだから、認知機能が低下したら考えるキャパが減って理解できないものを拒絶するのも不自然ではないことになる。

また逆に、若いうちから自分が理解できないものを拒絶していると認知機能は衰えるばかりで、理解したら賛成・理解できなければ反対するだけの動物みたいな人生になってしまう。

賛成の裏が反対、反対の裏に賛成といったコインのようなものではなく、賛成と反対はトンネルになっていて、とてつもなく長い距離の「理解できない」状態があり、その先にある出口が賛成か反対か、そんな感じでお願いします。

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