他責志向の罠

ロシア・ウクライナ戦争、すでに30万人以上の犠牲者を出してるらしい。
報道を見ても特段驚かなくなった今、それでも地球の裏側ではじりじりと死者が積みあがってる。どっちが良いとか悪いとか、政治的なことはよくわからないのだが、ここにきて思うことは、死者を増やしているのは敵勢力ではなく無能な指揮官なんだろうなと。

自軍の兵士や国民が殺されて、「あいつが悪いんだー」とやり返してはやり返され、出口の見えない長いトンネルを歩いている。

日本において先の大戦を語るときも、アメリカの本土上陸作戦でーとか、広島での原爆投下がーとか、そういうパワーワードで語られて無論それらを肯定するわけもないが、しかし一番ダメだったのは日本の指揮官ならびに当時の軍事教育だったんじゃないかと。

残忍な殺され方や犠牲者の話をしても戦争を防げるようになるとは思えない。
大事なのはそれらを悲しむことよりも、どうやって戦争しないかと学ぶことだと思えて、過去の帝国主義・軍国主義・植民地戦略がいかにダメだったかを自ら顧みる教育なのかなと。日本史の授業でも、戦いそのものにピントが合っていて、イデオロギーやそれらの問題点への言及はほとんどなかった気がする。

とかく、個々人の人間関係においても、会社組織の運営においても、失敗やエラーを他者や外部環境の問題とするばかりでは何も解決しないわけで、仮に真にそれらが原因だったとしても次起きない仕組みを考えることができるのが人間なのかなと思うわけだ。

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