ぶつかりおじさん、ひろがりおばさん

最近ニュースでよく耳にする「ぶつかりおじさん」
駅などの人混みですれ違いざまにわざとぶつかってくるらしい。

たしかに、頑なに避けない人がいるのはよくわかる。このまま歩けば確実にぶつかってしまうというシーンで、ずんずん歩いてくる人はたくさんいる。いつも自分が先に避けてる気がする。仮に俺が避けてなかったら、相手は避けてくれたのだろうかと気になることもある。
考え出すとイライラするので「賢いほうが避けなさい」と言い聞かせている。

(「賢いほうが黙りなさい」の応用系で、いろんな場面で使えるのでオススメ)

ところで、これと同じくらい出くわすのが「ひろがりおばさん」
これはニュースで取り沙汰されてるわけでもないんだが、先のワードをもじって今命名。

狭い歩道や路側帯を横一列になって押し寄せてくる。俺はこれでもかと端っこを歩くが、どう見積もってもこのままいけば衝突は免れない。その間も広がりおばさんたちは、変わらぬ勢いで隊列を組んで近づいてくる。もうぶつかるしかないところで、結局俺が車道にはみ出して道を譲る。ぎりぎりのところで衝突は免れた。
すれ違いざまに後ろを振り返ると、一糸乱れぬ隊列でおしゃべり行進が続くのだった。

ぶつかりおじさんを擁護するつもりはないのだが、「ぶつかり」は自分と相手との出来事であってどちらが悪いかは状況によるわけだが、「ひろがり」は自分で抑制できることなので、そこはどうか改善してほしい。
ひろがって歩いてると、ぶつかりおじさんに最もらしい動機を与えることになっちゃうよ。

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