実は悪(あく)

他社にいけば1000万円もらえるような人が、600万程度の現状で我慢していることが、実は一番タチが悪い。その理由をはっきりさせておこうじゃないか。

1.採用部門への麻薬になっている。
採用活動において、同じ600万円の投資で市場価値1000万円の人材をゲットしようとして、一生手に入らないループになる。そうそう見つかるわけがない。
格安のバーゲンセールで友達に鼻高々で自慢できるブランドバッグを手に入れてしまったと。
そうすると、通常価格で買うのは馬鹿らしくなる。もっと安く良いものが手に入るはずだと感覚が狂う。
すると、逆に潜在的に価格で線を引いてしまうことになる。600万円で収まる人材を探して、500万円だったとしてもこれから伸びるかもしれないみたいな、ありもしない幻想を信じることになる。
ギャンブルみたいなのもので、一度快楽を得てしまえば、それと同じ水準の快楽でなければ満足できなくなり、そうでないエラーに対しては「将来性」だとか「次こそは」みたいな言葉で安寧を得る。これはろくな結末ではない。

2.考課基準が狂う。
市場価値1000万円の人が600万円で働いていると、市場価値600万円の人の給料は「400万円でいっか」ってことになる。「こんな優秀なやつが600なんだから、彼を基準に考えればみんな400だろう」みたいな話になる。めちゃくちゃ仕事ができるやつをベースラインにしてしまえば、業績不振を社員の能力不足に転嫁できる。
そういうメッセージはやがて全体のモチベーションをさげて、全体のパフォーマンス低下に陥る。あれおかしいなと思って、さらに考課基準が狂い、鞭をたたき、全員不幸になる。

一般に、資本主義社会で「安くて良いモノ」が市場に投入されると、競合他社は品質やサービスレベルを落とすことで同じ価格ラインを実現したり、あるいは新規参入業者が表面上の模倣だけの粗悪品を出したりする。原理はこれと同じ。

低価格競争になる。それだけ。
日本は特に優秀な人の奥ゆかしさみたいなものが、これに拍車をかけているに違いない。
そういう人が実は一番悪(あく)。

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