「誰一人取り残さない」の失敗

理念としては素晴らしいけど、これがもたらすことは「取り残されちゃダメなんだ」を植え付けてしまうこと。

否、本当に伝えたいメッセージは、「取り残されたって気にするな」であってほしい。
1億を超える個別に意志を持つ独立した有機体に対して、1つも取り残さないなんて無理。
どこかでこぼれ落ちる人や削りカスになる人がでてくる。
もっと言えば、望んで取り残される人さえいるだろう。

学校に行きたくないとかね。そういうニュータイプな人に対して「取り残さないよ、ついておいで、ほら学校においで」ってのは彼(彼女)にとって「自分は取り残された側なんだ」というネガティブな意識を強めてしまうことになる。

結局は、本人のことよりも国家としてのガバナンスや政策としてのメッセージ性が重要視されていると思わざるを得ない。

敗者をなるべく作らない仕組みやルールなんかもそう。義務教育で点数を付けないとか順位をつけないとか様々取り組みはあるけども、それは結局「負けたらダメなんだ」をむしろ強く植え付ける結果になっていると思う。

一方ではかなしいかな、世界は、勝ち負けや順位で出来ている。
いつも東京>大阪>名古屋だし、アメリカ>中国>日本だし、製品やサービスはすべてランキングが可視化され、容姿の良し悪しや所得の大小で異性からの評価が決まる。勝敗や順位のなかで生きている。

だから、本当に伝えたいことは「負けたっててめぇの物差しで勝手に幸せに生きろ」がメッセージであって、「君は負けてない」なんてまやかしなんだ。

仮にまやかしのまま一生を終えることができればいいが、大人になってから、「あぁ、あれはまやかしだったんだ」と気づくことほど残酷なことはない。そう気づいて、犯罪に手を染めることで手っ取り早く現実逃避する若者がいるんだと思う。(ちょっと飛躍しすぎなのはわかってる。)

とにかく、何度負けても、路上生活になっても、こんな豊かな国でそうそう死ぬことはないっていう楽観的な考えもOKになればいいな。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA