大阪で帰宅難民になった③

朝8時の名古屋駅、4時間後に出発する列車内で寝に入った。
定期的に流れる「お客様へ列車の運行状況をお知らせします・・・」がやけに耳障りで眠れない。どうせ毎回同じことを言うに決まってると思いつつも心のどこかでは今度こそ「線路の点検作業が完了しました。これから出発します。」が来るかと期待しては、案の定「この度は列車遅れまして誠にご迷惑をおかけします」に落胆する。

車内は、9時を回る頃には満席だった。3列シートの真ん中も空いてない。このあと乗り込んでくる人々は、デッキに座り込むか車両内の通路に立つかいずれかになった。
代わってあげられるほどの精神的・体力的な余裕がなく、当初獲得した座席に居座り続けた。

自分は、最後列の2列シートの通路側に座っていた。通路側なら足を伸ばせるし、トイレにも近く、乗り降りも早い。非常時かつ意識朦朧状態でもこうした計算を呼吸するようにできる自分に救われた。

隣には洒落たハットを被ったおじいちゃんが座っていた。話しかけてみると、昨晩新大阪で足止めを食らったとのことでナント同志だった。昨晩のうちに名古屋まで来て、名古屋駅で一夜を明かしたそうだ。タフだ。しかし話を聞いていると、もう何か諦める理由を探しているようだった。

その気持ち、すごくよくわかる。辛抱強く待てば出発するはずだと言い聞かせて待ったあげくの「出発できませんでしたー」は、心に堪える。いっそ早く殺してくれと思う心理、わかる。

次第に車両の通路までぎっしり埋まった。
明らかに空気が悪くなるのがわかった。気温もだんだん上がってる。乗客のイライラがピークに達していることもわかる。俺だってそうだ。異様な雰囲気。韓国でのおしくらまんじゅうドミノ倒し事件がよぎる。

時刻は11時半を回る。あと30分、あと30分したら出発するはず。
隣のおじいちゃんが突然立ち上がった。「もうやめだ、諦めて帰る」とのこと。
もうちょっとですよと諭すが、「子供が名古屋に住んどって、そこで休憩するわ」とのこと。
決して自暴自棄になったのではなく、極めて賢明な判断で安心した。

空いた席にポーランド人が着席した。俺は全く英語はできないが、適当に会話してるうちに出発のアナウンスが車内に響き渡った。運命の12時06分だ。無事走り出した。

社内は拍手喝采。そのあとのことはあまり覚えていない。気づいたら新横浜だった。
ポーランド女性を見送って、また目をつむったと思ったらそこはTokyoStationだった。

東京駅の新幹線改札も地獄絵図だったがナントカ通過した。
家に着いてから、全身が汗か脂か雨かわからないけどベットベト、髪もめちゃくちゃ、カバンの中身もグッチャグチャだった。

間違いなく人生で一番タフな出張だった。終わり。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA