セッション(2015, アメリカ)

アメリカ音楽界のトップスクール、シェイファー音楽院に通うニーマン。ジャズドラマーを目指して1人猛特訓してるところに現れたスパルタ先生フレッチャー。

この出会いにより、ニーマンはフレッチャーのクラスに編入する。これが地獄のはじまり。
フレッチャーは、控えめにいって超スパルタパワハラキチガイ指導者で、1つミスしただけで「俺のバンドの邪魔をするな」と不出来な生徒を追い出す日々。

ドラムの腕を見出されて招聘されたニーマンも、加わってみればビンタと罵倒の日々。
最初は「愛のムチ」的な見方もできるが、途中からは人間のクズに見えてくる。
音楽への情熱だけは本物で、それを信じてついていくニーマン。

スティックを握る手は血だらけになり、心身ともにズタボロ。そのうえ、主奏者として迎えるコンテスト当日の朝、会場に向かうバスが遅れ、咄嗟にレンタカーに乗り換えて猛スピードで交差点に突入して交通事故に見舞われる。意識が朦朧とするなか満身創痍の体で到着。

本番でドラムをたたくも全く機能せず、聴衆の面前で大恥をかく。フレッチャーはニーマンのその様子を、聴衆にさらすのだった。耐えきれなくなったニーマンは、ステージ上でフレッチャに襲い掛かり殴る蹴るの暴行。からの退学。

ときを同じくして、フレッチャーは数々のパワハラキチガイ行為を別の教え子に告発され、シェイファー音楽院をクビになる。そんな二人が、とあるジャズバーで再開する。プロバンドをやってるから来ないかと。

ここで盟友になるのかと思いきや、フレッチャーはニーマンを陥れるために、バンドに誘っておきながらも本番ステージで予定にない曲を指揮しはじめて、ドラムのニーマンだけがついていけないように仕組む。またしても本番で大恥をかかされたニーマン、一度はあきらめてステージから逃げるように去ったが、意を決して戻ってきたかと思ったら、フレッチャーの指揮を無視して、超絶技巧のソロシーン。
これに魅せられたフレッチャーが、最後はニーマンのために指揮を振るという結末。さて、これは最後はどう解釈すべきなんだろーな。

フレッチャーが、「本当は良い指導者だった」的な解釈は無理がある。そんでニーマンが「信じてついていった」という解釈も無理がある。最後のソロシーンは抵抗だったと思う。
最後の2人は相手へのこれ以上ない憎悪で腸煮えくりかえっていたが、音楽という部分だけで首の皮一枚つながっていたと。

もう何十年も前に甲子園を沸かせたPL学園のKKコンビ、桑田選手と清原選手。ドラフト会議での騒動もあって特にプロ入り後の二人の不仲は有名だったが、パフォーマンスとしての野球の場では最高たりえた。

厳しい環境に身を置く人たちにとって「孤独」というのは前提条件なのかも。

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