ニヤケ男

楽しみでワクワクする未来に、自然とにやけてしまった。
ここ数年はこんなことって皆無だった気がする。

小学生の頃、学校に行って友達と会えると思っただけで、にやける毎日だった。
明日学校に着いたら、まずはSくんに○○の話をしよう、昼休みはTくんとキャッチボールしよう、Hくんにゲームの成果を自慢しよう、たったそれだけのことに前日からワクワクしたものだった。

家族には「何一人でニヤニヤしてんの?」って言われたことも覚えている。

大人になったら、一人でにやけてる人なんかまずいない。みんな一生懸命顔をこわばらせて歩いてる。一人でニヤニヤ歩いてたら気持ちの悪い変質者扱いで通報される可能性すらあるからね、俺だって負けじと怖い顔で歩いてるよ。

小学生の頃のあの感情はなんだったのかと考えると、「俺が話したい」はもちろんきっかけとしてあったわけだが、それによって「相手が喜んでくれるものだと心の底から信じていた」ふしがある。

驚かせたい、楽しませたい、教えたい、喜ばせたい といった、サービス精神のようなもの。
そうやって、掛け値なしに自分が与えることが誰の迷惑でもないと信じていたし、自分の周りもそんなヤツらばかりだった。

ところが、大人になるとそれが相手にとって迷惑だと考えるようになった。
何かを自慢すれば嫌味ったらしいし、求められてもいない情報提供をするわけにもいかず、昨日起きた自分の出来事なんか話題の1つにもならない。これが空気を読むって技術なんだろう。

次第に、怖い顔をして黙ってるのが上手になった。

ニヤニヤしてる人って、本当は気持ち悪いんじゃなくて気持ちのいい良い奴なんだろうな。

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