それを言ったら、何もかも終い(しまい)なんよ。
こないだ、「DXの本質は、お客様とのコミュニケーションである」と言うお偉いさんがいて。
「コミュニケーションが大事」という結論は、議論を終わらせ、本質を隠す凶器。
そんなんは、アダムとイブの時代からあったんだから。
appleの次に生まれた単語といっても過言ではない。
そういう普遍的な要素を疑ったり、またはそれらを排除していった先に何が残るのかを、その少ない脳みそで考えろ。
コミュニケーションが大事とかいう結論は、それはもう真剣に考えようとする人を正面から刺し殺す凶器なんよ。
悲しいかな、現場でもよく聞く。「なぜプロジェクトは失敗したか」や、「なぜお客様満足度が低いか」といった問への答えとして。
わかるよ。コミュニケーションのせいにできれば、現場や担当をつるし上げて終わりにできるし、ほかの深刻な問題と向き合う必要がなくなる。
それは、作業者の技能不足だったり、マネジメントがザルだったり、または個々のそもそもの改善意識だったり。けち臭い経営体質だったり。
今より良くしようと本気で思ったら、それって本当に面倒なことばかり。
そういうことと向き合わなくていいように「コミュニケーション不足にしよう」という論調ね。くそったれすぎて。
結局は、解決しようと思ってないんだよな、当事者意識も自責の念もない。
「管理者」という職位ベースで、「お客様へ謝罪が必要」みたいなときに出張っていって責任をとるみたいなシーンはあったとしても、俺はそれは責任感があるとは認めない。
真に問題解決しようと思っていれば、謝罪よりも原因追及が大切だと思う。我々はそういう職業だと思う。