100xの代償

一言で言えば、作業を積み重ねすぎた。そしてもう、詰んでいる。

もともと100の作業があってそれが101,102,103のように増えるのは、徐々に質・量・形を適応させながら変わっていくことができる。生き物でいえば進化のようなもので、うにょうにょと対応していける。

だが 100x (x>1) のように、既存のすべての作業に対して係数xで作業を要求されると、簡単に破綻を招く。算術級数的ではなく幾何級数的であるとも言える。

たとえば「ディスク容量のチェックが足りなかった」ことで何らかのエラーや事故が起きたら、「今後はあらゆる業務、あらゆる作業において、例外なく作業前後でディスク容量を記録する」という手順が追加される。これだと100x(x>1)だろ。

一方で、費用対効果や受容すべきリスクなどを想定し、「○○業務に携わる人で、a,b,cの作業をするときにだけチェックする」と判断できれば 100+3x(x>1,3はa,b,c) だ。

難しい判断を迫られると思うが、それでもこれが仕事ではないかと思う。
前者は小学生の判断だ。いついかなるときも「例外なくやれ」なんて、どれほど幼稚な判断であろうか。

抵抗しない作業者の心情もわからなくはない。何となく行けると思うからだ。
「簡単簡単!チェックして記録するだけでしょ?」と。

ところが、これが積みに積み重なり、遂にはそのようなことをしている時間がなくなってくる。困ったことに、剥がすには相当な理由がいる。100xyzabcdefg と、積み重ねてきて、いざ剥がすとき、なぜ今後やらなくていいのか、なぜこんなことをやっているのか、ルールを決めたときの熱量で議論することができない。
「よくわからないけどやめる」というのは、とても怠けているように見える。

結果、一度積み重ねた作業は、減らない。これが100+3xなら、3xが問題を的確に表しており、自明であることが多い。だから、積むときに最も慎重にならなければならないんだ。その感覚がマヒしている人が多すぎると感じる。

ゼロリスク症候群がもたらす一種の詰みであり、罪である。

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