ゆるすぎて辞める若者

最近は、ホワイト企業全盛期なのか知らないが「ゆるすぎて離職する若者」が増えているらしい。いわく、「成長できない」、「叱られない」、「刺激がない」らしい。

個人的には、こういった情報は真に受ける必要はないと思う。理由は2つ。

1つには、ブラックだのホワイトだの、パワハラだの何ハラだのって取り沙汰してはそこから旨味成分を抽出するのがマスメディアの仕事なので、「世間」みたいな括りに右往左往せずに各企業の状況に合わせて個別的に対応しておけばいい。いろんな人間がいるのと同じでいろんな企業があるので、そういう「当てはめた」考え方が一番危険。

もう1つは、若者側の「行き過ぎたお客様意識」。
例えば似たような例で、何年か前までは集団生活や同調圧力に疲れて「一人になりたいぽ」とかツイートしてた人が、コロナ規制で1人ぼっちになると「自粛疲れ」「人に会いたい」とか言い出すのと同じ。
あるいは親の反対を押し切って自分で選んだ大学で専攻したい学部に入ったはずなのに、「あの先生はダメだ」「あのゼミはダメだ」「教え方がダメだ」「将来が不安」とか言い出すのと同じ。
こないだまで「仕事がきつすぎる」「上司がダメだ」と言ってた人が、今度は転職先で「ホワイトすぎる」「やる気がでない」とか言い出す。

結局自分がかわいいだけで、「周りのオトナたちが環境を整えてくれるはずだ」という幻想から抜けきれないことが一番の問題。
生まれたときからゲームやインターネットといった底なしの娯楽、暖かくてうまい飯と安全で快適な住環境、腫物を触るように子に接する先生たち、揚げ句運動会は手をつないでゴールインするような、まるで子供を消費者として扱うような気持の悪い環境だったから、「自分で発見する力」が絶望的にない。

「きついのは嫌だ」「優しすぎるのも嫌だ」「怒られるのはいやだ」「簡単すぎるのも嫌だ」と言って、自分にとって「ちょうどよい仕事」が来るんだと今日も信じてる。んなわけない。
白馬の王子様でも探してるんか。

授業がつまらないなら、自分で楽しむ努力を。
仕事がつまらないなら、自分で熱中する努力を。
人間関係が悪いと言う前に、自分が最初の他者貢献を。

なにも搾取の対象になれと言ってるわけじゃないし、むしろいつ来るかもわからない白馬の王子様が現れるのを待つストレスに比べれば、自分で動くってのは気分爽快なことだと思う。
自分も、若者や子供に迎合するばかりではなくむしろ自分自身が仕事や趣味に熱中している姿を見せたいし、そうした諸先輩方の背中を見て学びたいと思ひます。

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