小説 『言の葉の庭』 

原作は映画、これはその小説版。
自分は映画版を見ていない。もう何年も前に見よう見ようと思っていたが全く行動しない自分に、「本当は見たくないようだ」と見切りをつけてその後何年も経った。
今回KindleUnlimitedに出ていたので即ポチしたってわけだ。

新海誠 大大大先生といえばアニメーションによる映像美(主に日本の原風景)が他作品にない圧倒的な強みだが、そうした必殺技が使えないフィールドだったら中庸な恋愛小説じゃんかーと思って期待せず読み始めたが、そういう心配は無用だった。

あとがきを見てもわかるように、むしろ小説にしかできない強みでそれらを埋めたらしい。
本人いわく「ドアの向こうのざわめきがイヤフォンの音漏れのように」といった表現は映像にはできんだろうと。
これは確かに納得で、くすっと笑ってしまう、あるいは読み終えた今も心に残る直喩はいくつもあった。「空気はひどく蒸していてメダカくらいの小さな魚だったら空中を泳げるんじゃないかと思うほど」とか、複雑な人間関係を「ポケットに入れっぱなしにしていたイヤフォンコードが、気づくと勝手にぐちゃぐちゃに絡まって固結びになっている」とか、劣等感か憧れを「沿岸専門の漁師がいきなりの遠洋漁業でシロナガスクジラを目撃してしまったかのような衝撃を受けた」とか。
つまり映像を再現するように頑張って言語化するのではなくて、むしろ絶対に映像化できない人間の機微とそれらの直喩によって別作品をつくったって感じ。(アニメ版を見てないのだが)

原作が小説でそれを映画化したってのは良くあるが、これは我々の世界に置き換えれば「仕様書があって製品化(コンパイル)した」みたいな感覚に近い。
逆に映像があって小説にするってのは、製品からソースコードを逆コンパイルするんだと思ってたけど、どうやらそういった可逆的なものではないらしい。
ハイコンテクストなものをよりロー方面に変換しようと思ったら、そこに含まれるメタ情報を過不足なく全部言語化しないといけないが、そういうことが単純にはできないから日々つまらないことで喧嘩したり紛争したりしてるわけで。

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