学生の頃は考えもしなかった。
平日の時間外も休日も、無給で指導してくれていたなんて。
仮に頭でわかっていたとしても、自分のことだけで精一杯だったと思う。
野球のことだけでなく、そこで学んだ人生観・倫理観・生活態度は、血肉になっていると言える。今となっては感謝してもしきれない。
中学生時代の顧問は、理科の先生だった。野球は専門外だったようだが一生懸命教えてくれた。
他の部活に比べると元気のある生徒が多く、手を焼いたと思う。
生活態度や校則を守れない生徒がいると、「また野球部か」くらいに定番だった。
今思えば、もし「やりたくもない顧問」だったとすれば本当に気の毒だ。申し訳なさで胸が苦しい。
高校時代の顧問は、体育の先生だった。野球の名門私立高校の最強時代を築いたセカンドで、甲子園出場経験もある人だった。
この人はおそらく「野球部の顧問」がしたくて教職員をやっているタイプだったと思うが、それにしても平日も休日も俺たちの指導にオールインしてくださっていのに、肝心の結果がついてこなかった。部員個々人の素質と努力が足りていなかったのかもしれない。
自分は監督に対して、(野球は上手だが指導者タイプではないのでは?)と偉そうにも高をくくっていた。教えてくださっているのに本当に偉そうな態度である。
部活動という制度は、見直す余地のある旧態の枠組みだと思う。
先生側は「やりたくもない顧問」 × 生徒側は「やらされている部活」の構図になっている可能性もあり、それを「教育の一環」と位置付けるのはあまりに乱暴である。
自分のように、結果的にいろんなソフトスキルが身について、大人になっても血肉になってると感じている人はそれでも救われているほうだと思うが、嫌で嫌でしょうがなかった人はシンプルに犠牲者だし、そういう生徒への指導を任される先生もまた犠牲者。