上の子が見る景色・下の子が見る景色

上の子は、開拓者だ。これは、家族における「標準」を作る役割だ。
たとえば、「スマホを何歳から所有することができるか」、「何歳になったら自分の部屋が手に入るのか」、「アニメやゲームといったコンテンツをどうやって親から入手するか」、「お小遣いのベースアップ制度」といった、家族の標準値を作る

もちろん、それは親が決めることと言えばそのとおりだが、その決定権に対してどれだけ子が食い込んでいけるかは、その子の企画提案力や実行力次第だ。

企画提案力というと大げさだが、「友達が持っているから」なのか、「次のテストで満点を取るから」なのか、「お手伝いを頑張るから」なのか、「いつも良い子だから」なのか、これは個性が出るところだと思う。
初めての人生だというのに、そういった選択や戦いの連続は上の子のみぞ知るハードシングスだ。

一方で下の子はラクなのかといえばそうではない。下の子の宿命は常に「比較」が付きまとうことだ。道はできているので新たに開拓することは少ないが、大人になるまで上の子の影との戦いだ。もちろんそれは学業だけじゃない。
生活態度、運動能力、友人関係、恋人関係、身長・体重・体型、食べ物の好き嫌い、怒られる頻度、お金がかかる頻度、病気になる頻度 といったように、枚挙にいとまがない。

下の子のほうがバリバリ優秀な場合もあると思うが、それでも「前例」や「標準」がある世界で生きていくのは、そうじゃない場合と比べて窮屈さを伴うものであろう。

思うに、親を含む家族全体が「開拓者」である上の子を尊敬して、労ったり応援したりしてほしいし、同時に下の子に対しては前例踏襲だけではなく開拓作業のチャンスを与え、上の子がそれを受け入れる度量をもてる家族文化をはぐくむといいと思う。上の子にとっては、「自分のときより下の子のほうが恵まれていたとしても、それを一緒に喜べる」ような文化だ。

(自分は、親としてのそういうチャンスがなくなりつつある身なので、どの口がほざいてるのかと自分でも思う。)


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