靴の洗濯

靴の洗濯に来た。 

月に1度の靴の洗濯。靴がきれいだと気分がいい。
30を過ぎたくらいから、こうした少しの幸せに気づけるようになった。
アレがほしいとかコレが食べたいといった、わかりやすい物欲や食欲だけじゃなくて、「目覚まし時計は鳥のさえずり音がいい」とか、「たまに人に手紙を書く」とか、そういう小さいことに面白さや幸福を見つけている。
自分の機嫌は自分で取るといった感じだ。30年も生きてようやく、誰も俺の機嫌を取りにこないことがわかった。

以前までは四六時中、革靴を履いていた。洗濯ができないし、かといって毎月買い替えるわけにもいかず、見た目は綺麗でも中身が雑菌だらけで不衛生だし、今では考えられない。
当時はそれが当たり前だったものの、絶対に戻れない。

そういえば、昔からスニーカーが似合う女性が好きだった。
でもよくよく考えると、これってのは綺麗なスニーカーでなければいけない。
深く考えたことがなかったが、その理由を言語化してみる。

靴ってのは基本的に汚くても許される。地球との唯一の接点で汚れるのは当然だ。
その「汚れているのが当然」なところまで「綺麗に維持」しているとすれば、そうじゃないところも綺麗であると想像できる。見えないところで努力できるんじゃないかと思えてくる。
だから、努力できる人のことが好きという点ともつながっている。これは我ながら納得できる解だ。

自分も、こぎれいな人間でいたい。人間性がクソなだけにせめて外見くらいは、自分が見えるところくらいは、こだわっていきたい。

昨晩のダーツバーの喧騒から一転、早朝の静かなコインランドリーにて。

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