隣町の偏差値50くらいの可もなく不可もない公立高校に3年間通った。
弱小の野球部で3年間自分なりに頑張って練習したが、地方大会3回戦負けというこれまた可もなく不可もない成績を残した。
一応学業は頑張った。進学や就職といった明確な目標はなかったのだが、「野球部はバカ」みたいなラベルに反抗したかった。事実、野球部ってのはやんちゃな人が多かった。
そこに対して学業で反抗した。学年全体で320人程度の高校だったが、期末テストなんかでは学年で3番以内~5番以内を3年間キープした。次第に「あいつは部活もしながらどうやって勉強してるんだ?」と秀才ポジションを獲得したと思う。
試験期間は人並以上に勉強したとは思うのだが、しかしこうも考えていた。
320人のうち半分は「勝負を捨てている人」、160人のうち半分は「直前ないし当日だけ頑張る人」、80人のうち半分は「努力の仕方がずれている人」。そう考えると、ライバルってのは40人程度であると。
これを8クラスに分解すると、1クラスあたり上位5名がおよそライバルだった。自分のクラスで上位5名を見積もってみると、彼らに負ける気がしなかった。それがモチベーションだった。これは今考えてそう回想しているのではなく、当時野球部にいる仲間に対していつもそう言っていた。部室で偉そうに講釈する自分のことを、今考えれば皆面倒だと思っていたに違いない。
さておき、3年生になると、学年で1番成績が良いとされる「矢部さん」という女子と同じクラスになった。勝負を申し込んだわけではないのでわからないが、最終的に自分は学年で1番になれなかったので、勝てなかったのだと思う。これは高校時代の唯一といってよい心残りだ。
進学校でも何でもないので自慢の一つにもならないと思うが、偶然だろうと必然だろうと「自分が所属したコミュニティで上位を争う価値観」が強く形成された3年間だった。
その後は大学受験から逃げて指定校推薦・書類一発でぬくぬくと地元の無名私立大学に進んだ。今考えれば、もっともっとコミュニティの外に対して勝負をかけるべきだったと後悔している。
それが悪い癖だともわかっている。
今の会社勤めも同じようなもので、特に周囲にすごいと思えるような人はおらずぬるい環境だが、だからといってそのコンフォートゾーンを抜けようとは思わない悪い癖が出ている。
このまま40代、50代になっていくのは本当に恐ろしい。