3011日座り込み問題への雑感

「座り込み」の辞書の定義とか、24時間連続しているかどうかとか、そういうことはどうでもよくって、結局その3011日は効果があったのかどうかを検証してほしい。

これだけ大きな目的や大義をもってそうやって継続しているのだから、何か効果が出ていないといけないと思うんだ。逆に何の効果も効力も発揮していないのに、やり方を変えず3012日目、3013日目、3014日目と続けたとしても、これは愚策と言わざるを得ない。

5000日目になったら工事が止まると本気で思うのか、10000日目になったら勝利する日が来ると本当に思っているのか、結局そこが一番大事だと思う。そうじゃないなら、手段自体が目的化しているのではないか?と勘繰られてもしょうがないと思う。
「部外者は黙れ」、「本土の人間に何がわかるか」と言うなら、おっしゃるとおり黙ります。これは本当に、現地の方々しかわからないってことはあるだろうから真摯に受け止めて黙ります。
しかし、本当にそれでいいのだろうか。本当は前に進むために多くの人の協力が必要なんじゃないだろうか?

効果(結果)がすべてだと思うんだ。効果が出ていないことをそれでもやり続けて寿命をすり減らして、あとに引けなくなって人の話が聞けなくなっていやしないだろうか。

人は、可能性があるから希望をもって生きられると思うんだ。そして希望を持っている人のところに、人が集まる。逆に希望がなくいつも被害者のような顔をしている人のところには人は決して集まらない。
そこまで立派な大義があるのだから、とことん効果を追求して若者に夢と希望を与え、結果にこだわってほしいと心から思う。

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