提案とはポジションを取ること。最終的には「私はこう思います」という“解釈”が大事。
そこに至るまでのストーリーはすべて事実である必要はあるが。
逆に言うと、今手持ちの事実を所与として仮説をたて、自分なりの答えを決めなければならない。これが弱かったと感じる。控えめにいって半分以上のメンバーにそれを感じた。
あらゆる変数に目がくらんで、「○○がわからない限り数字が出せない」とか「情報が少なくてわからない」とか、そういう感情が勝ってしまってどうやら決めに行けない人が多いらしい。
だからといって、確認できた事実だけ書くことに何の意味がある?
我々の役割はそういうことなのか?
試験で「問題が悪い」から「おれはやらない」と言ってるに等しくないか?
すべては所与なんだ。わからないという状況も所与。そこに仮説を立てて提案シュートをぶち込むしかない。唯一無二の答えがあるわけじゃないんだ。自分が心から良いと思える提案を自分が決めろ。
職場でも同じことを日々思うが、決めないように決めないようにビビってる人が多すぎる。
決めることが仕事なのに。正解がわかるまで動けない。でも最終的に正解がふってくるわけじゃないからぶつぶつ文句を言いながら、言い訳しながら決めることになる。だったら最初から決めにいけよ。早い段階で軌道修正できれば少しのかじ取りで角度を変えられるんだから。
脱線したが、提案とはポジションを取ること、決めること。
提案者が選択肢を並べておいて「わかりませんけどね」はナイって。
自分なんかより経験も知識も豊富そうな人ばかりだったのに、そういう人の「決め」って説得力があると思うのに、もったいないな。と感じました。