俺はないと思うね。
真に人格や尊厳を傷つけられたとしたら、そのあとどれだけ謝られても許さないと思う。いや、許さないという表現も少し違う。違和を感じつつまずはそう書いたんだけど、金輪際関わらないことによって、許すか許さないかを考えないことにすると思う。考えれば思い出し、苦痛を伴うから。
逆に、相手に悪意がなかったり、こちらも深い傷になっていなければ、そのあとの謝罪がどうであれ許すことになると思う。
ということは、許すか許さないかってのは相手の出方に関係ない、完全に自己が決める独立した機能だと思う。
めちゃくちゃ傷ついて心底腹が立ったけど、相手が懇切丁寧に謝ってきたから許すなんてことは、やっぱりないと思うんだ。もちろんお金や示談で埋め合わせをすることはあっても、それは許したという状態とは言えない。心の問題だから。
でも、そう考えると随分と気が楽になると思う。
もう何年も前に、職場で怒鳴り声で恫喝された経験がある。その瞬間のことは昨日のことのように鮮明に覚えているが、そのあとどうなったかはあまり覚えていないというPTSDっぽい経験になっている。
相手は相手なりに何か守りたいものがあって、それが理性的な話し合いでは守れないと瞬時に判断して怒号でねじ伏せるしかない状況だったんだろうけども、そういう動物的な手段を繰り出す人とは、金輪際関わりたくはない。
そのあと特に接点もないし、謝るとか謝らないとか、そういうこともなかったと思うけど、あれから随分と時間がたっても「許した」状態にならないのはやっぱりそういうことであろう。
逆に自分も、相手を傷つけた過去があるとすれば、それはもう回収できないんだろうな。
そうだとすると、多くの人とかかわるってのは単純にリスクなんだよな。
人と関われば多少なりとも消耗するし、消耗したら相手を傷つける確率が上がる。
いつも自分が決めた1人か2人程度しかかかわらないとすれば、その人に対して常にギブすることはさほど難しくないと思う。
有名人、学校の先生、企業のお偉いさん、お医者さん、こういう多くの人と関わることを生業にしている人が、相手を深く傷つけてしまって取り返しがつかない事件になるってことは、確率的にも頷けるわけだ。