想像するから病む、クソな世界でも生きれるよ

5年前の自分に、「新型ウィルスが蔓延して、戦争が起きて、元首相が銃殺されて、みんな不安で大変だ」と伝えたら、絶望して自殺していたかもしれない。
もし先に知ってしまったら、その終末感に襲われて異常な行動に出る人はたくさんいたと思う。

大抵の人は、戦争なんか起きるわけないと思ってるし、得体のしれないウィルスの恐怖におびえる日々が来るわけナイと思っている。

万一そんな兆候があっても、「いや、これは威嚇射撃でしょ」「いや、これは流行風邪だ」と自分に言い聞かせたり、周囲に流布して平静を装うことができる。

次第に報道が過熱し、死人が出たり可視化されたりすると、こんな風に受け入れる。
「いや、長く続くわけがない」「地球の裏側の話か」

で、どうしてなかなかこれが終わらない。数か月続くと「あ、まだやってるわ」「自分は大丈夫」そうやって、慣れる。

結局ね、世界が絶望的な状況でも人は順応するってことだよね。個人がそんなことに真剣に考えて思い悩んだって意味ないよ。暖簾のようにヒラヒラと生きたっていいじゃない。
大変な未来を想像するから病むのであって、事実直面してしまえば意外と生命力を発揮するよ。現実逃避ってのも大事な生命維持装置の一つだから。

明るい未来や将来なんて、そんなもの必要ない。

クソな世界で理想とかけ離れたクソな自分でも、直面してるときってのはさして不幸じゃない。それを想像してるときが一番不幸なんだ。

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