味覚の変遷と分析

物心がついた頃から、チョコレートが大好きだった。食べ過ぎないように理性で我慢していたものの、あればあるだけすべて食べたかった。ポテトチップスやじゃがりこ、ベビースターラーメンといったスナック菓子よりも、圧倒的にいつもチョコレートが食べたかった。アーモンドチョコとか、小枝とか、あと今はもう売ってないんだけど「霧の浮舟」とか、もう一つ名前を忘れたんだけどアルミの包み紙のクランチチョコ(今もたまに見る)が特に好きだった。
今もその感覚はほぼ変わっておらず、口にするおやつといえばチョコレートが多い。

一方、食事の面では、大人になってだいぶ変わった。
子供のころは、随分と偏食傾向だったと思う。基本的に野菜は嫌いだったし、生野菜はドレッシングをドバドバかけないと食べれなかった。幸いにも心を無にして食べるという技術は身につけていたのでさほど苦労するほどでもなかった。また、極めつけは小学3年生くらいまでは、ハンバーガーやピザも敬遠していた。パン以外の部分が何で構成されているのかよくわからず、「なんだかぐちゃぐちゃしたものを食べる」という気持ち悪さがあった。
だがこれは食わず嫌いという感じもあって、高学年くらいになるとマクドナルドのチーズバーガーなんかは大好物になった。それでも野菜はやっぱり敬遠していたことをよく覚えている。

大人になると、嫌いな食べ物は自然となくなった。それどころか、野菜がむしろ大好物になった。何か明らかなきっかけがあったわけではなく、食べれなかったわけでもないので克服したというのも大げさだが、まあ克服した。
こういうことをきちんとロジックで考えたことがないのだが、よくよく考えると、子供のころから「何で構成されているかわからないもの」に対する恐怖感は常にあって、上であげたようなピザとか、惣菜パンやハンバーガーの中身の謎のぐちゃぐちゃとか、あとポテトサラダもマッシュされて何が何だかわからなくて、他人の胃の中を見ているような気持ち悪さがあった。

そう考えると、生の調理されていない野菜を好きになるのは、自然なことだったのかもしれない。畑で作られている様子が想像でき、そのままの姿で食べることができる安心感がある。
あと、最近は、しょうが・みょうが・しそといった薬味系の味も楽しめるようになった。年齢とともに味覚が衰え、刺激っぽい味や香りがちょうど馴染んできたのかもしれない。

今は嫌いな食べ物はなく、何でも食べることができる。かといって食にこだわりもないので、その辺がストレスフリーでうれしい。人との食事で困ることがない。
食べ物の好き嫌いを強制克服する時代ではなくなったけども、克服しておくとその後のQOLが上がると思う。こどもたち頑張れ。

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