亡き祖母 ばぁ との思い出

ばぁは、自分が小学5年生の頃にガンで逝った。享年57歳。(たしか。あとで確認)

実家は田舎のスーパーで、当時は今のようにコンビニなんてほとんどなかったから、地域では比較的大きい規模で繁盛店だったと思う。ばぁはいつも店に出ていたから、働いてる姿をよく覚えている。
逆に家で家事をしたり、あるいはくつろいでる様子はほとんど覚えていない。

それくらい、働く人だったと記憶している。当時はそこに特別な感覚はなかったが、いわゆる「おばあちゃん」という感じではなかった。
身長がスラリと高く170cm近くあったと思う。近くで見ると迫力があって、ミカン箱を運んだり自販機にジュースやタバコを詰めたりと、力仕事をやっていた。
あと、家の付近をうろうろする野良猫を捕まえて、畑に向かって放り投げるという、離れ業を持っていた。

寡黙だったけど我々孫に対しては優しかったと思う。
だけれども、繰り返しになるが家で一緒にくつろいだり、遊んだりした記憶はない。
ただ1つ覚えているのは、自分がまだ小学1年生くらいの頃に、軽トラで一緒に買い物に出かけてトミカを買ってもらったこと。それもばぁが決めてくれたことを覚えている。たくさん種類があって決めきれず、バスとかクレーン車とかある中で、真っ赤なスポーツカーになった。ばぁはこれを「乗用車」と言っていた。「乗用車がいい」と。

死に際の病院での姿は、よく覚えている。やせ細って顔も手も黄色くなって、鼻から管が出ていた。家族全員、1人ずつ握手をして言葉にならない言葉で最後の交流を果たした。
病院・病室の匂いがきつかったし恐ろしかった。

葬式のことも覚えている。学校を休めてラッキーだった。
座敷に設置された大きくて光る雪洞がまぶしくて、親戚が一同に会して、おかしな話かもしれないがとても明るい雰囲気だったと記憶している。
葬式のあともしばらくは座敷が煌々と明るくて、それまで家のなかで座敷に行くことは滅多になかったが、たまに行っては ばぁの遺影を見るようになった。

今考えると、兄弟があってよかったなと思う。
兄と弟がいて、自分は次男なんだが、こういう人生のイベントに対して、さほど深刻に向き合わずとも、翌日からも他愛のないケンカをしたり、ふざけあったりして、何ら変わりない日常が送れた。一人っ子だったら、受け止めきれない何かがあったかもしれない。

後日じぃとの思い出も書いてみる。

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