取り締まりの目的化

「取り締まりさえすれば、以後の失敗はすべて違反者に転嫁できる」
「取り締まりさえすれば、考えなくていい」

各所でこの傾向が強くなってきた。取り締まりって最終手段であってほしいと思う。
何か問題が起きたときに、改善や再発防止のために取り組むわけだが、その方法が「取り締まり、違反者に罰則を与える」は最も低レベルだと思う。

たとえば、クレームがありましたと。お客様から「対応が遅い」と言われたとする。
これに対して、「今度から対応速度を記録して遅いやつを晒す」といったような、極論そんな感じ。
これは最も低レベルなやり方だよね。また起きるかもしれないけど、「晒されるかもしれないという恐怖と負のインセンティブ」で支配していきますと。

まぁだからこそ、心理的安全性はどんどん下がり、生産性の面で結果が出てないことにも相関があると思うんだけど。
でも管理する側にとってみれば、冒頭でも書いたとおり「取り締まりさえすれば、以後の失敗はすべて違反者に転嫁できる」という、最低限の逃げ道か矛先を確保したことになるもんだから、やめられないのかなー。

やっぱりもう少し抽象的なビジョンや社会的使命の話が必要だと思うんだ。
「システムから期待する効果を得られず困っている人を、いち早く助ける」のが使命だと。
君は、そこで能力を買われて配置されているんだと勇気づける。
いち早く助けることができれば、「お客に感謝されて、給料がもらえて、能力が身につく」
このゲームは、本当に楽しいことなんだと知ってほしい。

こういった話って、少年漫画みたいで寒いし、言葉にすると小っ恥ずかしい気持ちもわかるけど、さぼらずちゃんと言語化していきたい。

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