なぜ英語か

昨晩は英会話の約束をすっぽかしてしまって後味が悪い。
業務終了後でも当たり前に仕事を突っ込んでくるやつへのイライラと、そういう馬鹿がいることを都合よく忘れたことにして予約してしまった自分への不甲斐なさ。

最近は簡単な洋書(ガリバー旅行記とか)を読み始めた。本当にいつか英語脳になるんだろうか。否、その日が来る前に挫折するのだろうか。

さて、今のイライラ状態では今日にでも挫折しかねないので、動機を整理しておきたい。

まず第一に、「大層な動機はない」という前提は認めている。日本にいて、日本人としか交流せず、渡航の予定もない。習得したところで活用の機会はほとんどない。それを踏まえて、次のとおり整理する。

動機1
何か習得したい病。なんでもいいけど、仕事以外の場所で打ち込める何かが欲しいと、いつも思っている。今までもずっとそう。若手の頃はIT技術の習得、途中からマネジメント、そんで経営コンサル関連、脱線して二輪免許をとったり適当に資格をとったりもした。
何でもいいけど、ゼロベースでやり始めて、ラーニングカーブの停滞期を抜けたなーみたいな感覚になるまでやりこみたい癖がもともとあるっぽい。

動機2
活用の機会がないと認めているものの、今の生活のなかでも技術記事やニュースに関しては全面英語のページを見る場面もあるし、生業としているIT、会計、コンサル関連は基本的にアメリカにしか最新情報がないもので、習得したら複利があると思ってる。
ここまで格好つけておいて身にならなかったら笑ってほしい。

しかし、「習得する」の定義って何なんだろうな。
映画を字幕なしで見れるとかそういうぼんやりとしたイメージになっちまってる。
たとえばTOEICで900点以上とかいう数値目標はわかりやすいけど、界隈では「TOEIC笑 プププ」みたいなノリもあるみたいだし、よくわからない。

とりあえず「あ、英語分かったかもー」って言えるレベルになったら、自分なりの習得の定義も定まるかもしれん。

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