「証跡を残す」は手段の話だよな

「証跡を残せ」という指示を考察したい。
会議録、対応記録、修理記録、仕様書、納品書といった文書で記録を残しなさいという意味で、私たちの職場ではよく用いられる。
ビジネスシーンにおいては基本中の基本で、言ってもできない人がいればさっさとやめてもらうしかない。致命的すぎる、会社にとってリスク因子すぎる。

とはいえ、対応記録や修理記録といったものは、ちょっとした電話対応や軽微なマスタ修正であれば、記録にする意味を見出せずに文書化を省略する気持ちもわからなくもない。

で、細大ぜーんぶ「証跡を残せ」がスローガンみたいになってて。

それはそれでいいと思うけど、手段の話しか出てこないのは残念。
なんで必要なんだっけという議論がない。
そこを確認してみると「自分を守るため」らしい。
なるほどどうして、自分のためなら自分が省略したいときは省略することにならんだろうか。

イチ個人の記憶が、どんなに小さいことでも文書化されると、どんな良いことがあるんだろう。
・他者と共有できる(横に広がる)
・あとから確認できる(縦に広がる)
・決裁機能と組み合わせて用いられると、責任の持ち主を変えられる。

書くことによる効用が、書かずに楽なほうに流れる気持ちを乗り越えられるように動機付けしないといけない。
たとえば、上司の立場から指示するなら「俺が責任をとるためだ」と言ってほしいな。

「君を守るためなんだよ」と同じ意味かもしれないけど、Iメッセージで堂々とお願いしたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA