「気をつければできるじゃないか」と糾弾したり、「以後気をつけます」と心を改めたりするわけだが、「気をつける」ってどういう意味?
果たして、前回に比して今回は彼が気をつけたかのかどうか、第三者が計測可能な指標じゃない時点で、何の意味も持たない。
仕事の成否が、イチ作業員の「気」に左右されるのでは、発注側はたまったものではない。
もちろん、「前回は失敗したけど今回は気をつけて作業をしたから成功した」と言える場合もあると思う。だけど、それも偶然と言わざるをえない。
できる限り、計測可能な指標で会話してもらいたい。ビジネスシーンでは特に。
誤字脱字が多い → × 気をつけます ○次回は提出前に3回見直します
手順を間違えた → × 気をつけます ○次回は事前に必ずリハーサルします。
作業を忘れてた → × 気をつけます ○次回はタスクツールにリマインド設定します。
まぁこういう感じになるよね。
それでも100%にはならないことはわかってる。
ただ、発注者側のもやもやが、「作業者の気に任せた施策」よりは1億倍は晴れる。
小学生くらいの場合は、例外かもしれない。
大人に叱られると心が締め付けられその時の感情は強く記憶に刻まれるし、「今度は絶対気をつけよう」と思うことが以後の人格形成につながることは否定できないから。
でも、成人が「気をつけます」はもう手遅れ。科学的論拠はないけども経験的にそんなことは嘘ばかりだった。また自分もそうであることを否定しない。
気をつけることがどれだけ難しいことなのか、わかって使ってんの?