センスのように見せて否、圧倒的な量

努力してると思われるよりは、才能があると思われたほうがかっこいいからね、努力してるなんて言わないよ普通は

センスってのは圧倒的な努力で手に入れた知識と能力でしょ。
「この人はセンスがある」って言葉は、「他者の努力を直視できない怠け者」と「努力を隠したい本人」の需給の交差点

世界にはいわゆる天才という人種がいるのかどうかはわからないけども、少なくとも自分は出会ったことがないからね。成績の良い人はきちんと勉強していたし、ホームランを打つ選手は誰よりも数多く素振りをしてたよ。仕事ができる人は誰よりも真剣に取り組んでるよ。そう見えないように涼しい顔をしてるけどね。

膨大な経験というデータのなから答えを見つけているにすぎないんだ。
だってそうだろ。センスってのは「確率がいい」ってことで、ほかの人が当てられないことを大体当てられるってことなんだから、統計なんだ。人間はコンピュータと違ってビッグデータは持ってませんから、限られた自分の経験から最も適する1つを即座に見つけているに過ぎない。

だから、センス=膨大な量。

逆に言えば、このままテクノロジーが人間を追い越す感じになっていくと、いつか「センス」なんて言葉はなくなるかもしれないな。一番いい答えは常に可視化される時代になって。

そしたら今度は正解の逆張りがセンスなんて言われたりして。
だけど、それが的外れにならないためにはやっぱり経験と量だと思うんだよな。

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