wordが共通言語にならない理由

wordというソフトウェアそのものには、大きな問題はない。たしかに直感的に使いづらいという点はあるのだろうが、そもそも「私はワードがわからない」という主張が、一定の市民権を得ていて、「エクセルがわからない」とは違って、その主張が許されるという今までの歴史に引っ張られてる感が強い。

そしてその理由は、ワードがわからないんじゃなくて、そもそも「セクションや章立て(大見出し、中見出し、小見出し)によって構成される文章」をあまり書いたことがないことに由来してるんじゃないかと思う。

つまり、体系的な文章を書くトレーニングが、絶対的に少ない。多くの場合、卒論とかが最後なんじゃないか?

だから、「セクションとか見出しとか、あとで考えればいいんでしょ?」「本文で内容を主張できればいいよね?」的な思考停止になる。

本当は、大きいものから小さいものに深堀していったほうが抜け漏れがない。それがわかってれば、最初に見出しをある程度作るし、見出しを造る際には、目次・書式・ページ区切りを必然的に使うはず。

みんな、これができない。1つ目の見出しを作ったら本文を書き始めて、改行や空白で見た目を調整し始める。そっちのほうが大変だというのに。
Excelと比べると「不便である」という主張が多すぎて学習しようとしないし、ましてやそれが「自分の落ち度である」とは考えもしないんだろう。

きちんと機能を分解できている人は、「文」「書式」「オブジェクト」に分けて考えることができて、見た目は書式で調整するし(空白や何かで調整しない)、内容は文でのみ表現し、オブジェクトは行内と前面を使い分けている。過酷なトレーニングなんて不要で、3時間くらい調べて練習したらできるようになる。

まずは理解する気持ちを持ってほしい。

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